春から新しい職場へ…
何とか再発もせずに頑張っています。
第1章 「うつ病は心の風邪」〜いつ、誰が罹ってもおかしくない!〜 | 第2章 もう仕事に行けない…!「うつ病復帰」から地獄の闘いへ | 第3章 うつ復帰からの地獄の闘い 〜その後の話〜 | 第4章 うつ復帰からの地獄の闘い〜とりあえずの完結編〜 | 第5章 うつ病からの生還 〜その後の話〜
春・4月。私は某区役所の市民課戸籍係に配属。4月と言えば繁忙期…と覚悟はしていきましたが、誰もじっくりと“新人さん”の相手などしている余裕はありません。とにかく数をこなして慣れるしかないのでしょう。私は「前の職場を強く希望して出させてもらったのだから、弱音を吐いてはいけない」と気負っていました。
1日目はさすがに窓口にも電話にも出られない状態。ただただ前任者からの説明を受けて「はぁ…」とうなづくばかり(私は外国人登録の担当です)。まず、朝に出勤してやることがある、鍵3ヶ所を開けて、プリンタに“改ざん防止用紙”をセットし、外国人登録証を交付していない人の分を窓口に出して、倉庫から大事なものが入ったレターケースを出してきてやはり窓口に置く…帰りはその逆で、厳重に3ヶ所の鍵を締めて帰る…なにしろ“個人情報”を扱う所ですから厳重なのです(書けるのはせいぜいここまでか? 守秘義務、守秘義務…)。
しかし私の仕事は外国人登録だけではありません。同時に戸籍の勉強もしなければなりません。つまり、私は専任の外国人登録事務担当者でありながら他の人と同様に戸籍の届も受け付けなければならない、いわば“二刀流”なのです。
「キツイな…」と思いつつも(毎日が課内を走り回る日々)、初日から残業もし(夜7時まで窓口を延長していたため)、少しでも多くのことを吸収しようとしました。2日目からは分からないながらも窓口に出て、電話にも出て…「失敗は成功の素、人を成長させる糧となるのだ!」と前向きに捉え、とにかくぶつかっていきました。
そのせいか、先輩たちからは「じゅうぶん頑張ってるよ」「君の、そうやって逃げずにぶつかっていく所がいいね」と評価も上々。毎日何かかにかちびちびと失敗はするんです、でも翌日には何とか挽回、失敗しても落ち込むヒマもなく、最初の2ヶ月近くはとにかく夢中のうちに過ぎていきました。
仕事にも慣れ(失敗はちびちびとしてるけど…)、以前より早く帰れるようになり、余裕が出てきた頃。…ふつふつと湧き起こる怒り…それは前の職場にシステム管理のパスワードを教えてしまったことへの後悔。
前の職場で親しかった同僚から電話が来て「機能停止状態なの、助けて!」と泣きつかれ、私もお人好しなのかバカなのか、最初は「これは大元の情報担当者がするべきものなんです」とクギを刺しつつも、「絶対他には漏らさないように」とIDとパスワードを教え、さらにはユーザー設定の手順まで丁寧に教えてやってしまったのです。
その時は「私がいなくなって、システム管理から私をはずしたことを後悔しただろう、ざまぁ見ろ!」と快感に浸っていたのです。が…後で冷静になって考えてみると、こんな重要なことは課長自ら出向くなりして「あの時は私の知識不足のために大変失礼なことをしました、どうかパスワードを教えてください、そしてLANの設定も教えてください」と頭を下げるべきではないのか…という思いが…。そもそも、パスワードなんてそう簡単に教えるべきものではないのです、完全に向こうのペースに乗せられて、親しかった彼女をうまく使った「泣き落とし作戦」に引っ掛けられた!
その頃から私のココロの状態は下降線をたどり始めます。
毎日のように残業し、夜遅くに帰る日々。勤務時間中はテンションが高い。でも仕事が終わると私を襲う、怒りとも虚しさとも悲しみとも…なんとも言い難い感情。
家に帰っても、夕食も食べる気力もなくそのままダウンして、夜中に目覚めて冷たくなったおかずをちょっとつまんで薬を飲んで…ということもしばしば(夕食は夫が作ってくれる。こんなに協力的な夫はそうそういない。帰りも車で迎えに来てくれて…)。これじゃ、せっかく作っても張りあいがないでしょうに。夫に申し訳ない思いでいっぱい…
しかし、その“送り迎えつき”の日々を「管理」「監視」と感じて「ウザイんだよ!」と昔の同僚にメールする始末…いろいろな思いが交錯して気持ちの整理がつかない…
ある日、やはり夕食を食べる気力もなくダウンして、夜中に目覚めて…薬を飲むために冷たくなったおかずでもちょっとつまむか、と思い、テーブルへ…しかし、ない。私の夕食は用意されていませんでした。よく考えれば至極当然のことなのです、食べるかどうか分からない食事を作ってラップをかけて置いておくなんて毎日やってられるか! って。その気持ちは分からないではない。
しかし、その頃から「この家では自分の居場所がない」という思いがつきまとうようになりました。私の居場所はこのサイト、私だけの別荘…バーチャルな世界でもいい、そこに「居場所」を見出せれば…
そんなある日、仕事が早く終わって、いつものように携帯に「いつ迎えに行けばよいか」というメールが。私は職場近くの本屋に寄りたかったので、その旨伝え、「後でメールする」と返信。
本屋には私の探していた本はなく、「今から店を出る」とメール。すると「いつもの場所で待ってるか?」と返信が。私は「そこが止めやすいなら、そこで」と返信。「じゃ、5分後に」
ところが私はその5分後に遅れてしまったのです。信号を渡ればすぐなのに、信号待ちするのももどかしい。私は地下鉄の駅への階段を駆け下りました。そして“いつもの場所”へ出ました。
その日は肌寒く、雨もポツポツ降り出して…でも“いつもの場所”に車はありません。こんなに急いで、地下道を走ってきたのに…むなしい…脱力感…
その時メールが。「さっきから待ってるよ」「どこにいるのよ!」荒々しい返事を返す私。なんと、雨も降り出したことだし、と気を利かせて信号を渡ってすぐの所に車を止めて待っていた…「“いつもの場所”って言ったじゃない! だからそこで待ってたのに!」そう一言言って車に乗り込む…その後1日半、口を利かない状態が続く…
そんな“すれ違い事件”以来、私は迎えに来るのを拒否しつづけています。毎日バス時間に合わせて仕事を終え、それでも間に合わなかった時は…50分間でもひたすら待つしかない…なんて意地っ張りなんだろう。
その頃、連続して「プチ家出」を繰り返しました。一晩どっかで寒さをしのげれば“ラブホ”でもいいや〜。やけっぱち。そして昔の同僚を呼び出して「飲むべし!」強いお酒をガンガン飲んで潰れる…
こんな生活していては、翌日の仕事に響くし、何よりも子供たちは“母の不在”をどう思っているのだろう、それがいちばん心配でした。
いまだ2週間に1回通っている精神科で「今、こういう状態で…」と説明すると「こんな時期が来るとは思っていましたよ」。自分でも、無理の後には必ず反動が来ることは分かっていたので「はい、私も予想していました…」。その時、「とにかくお酒は控えるように。薬が効かなくなるから。抗うつ剤はきちんと飲むこと。…」と注意を受け、いつもの薬を2週間分処方してもらいました。
4月に新しい職場に異動し、毎日が忙しいながらも充実した日々。それでも、私は再び不眠と拒食に陥っていました。眠りに就いても2時間ほどで目が醒め、その後眠れず、気が付くと外が明るくなっている。胃が食べ物を受け付けず、朝食は牛乳だけとか、良くてヨーグルト。「とにかく血糖値を上げないと倒れてしまう」と思い、砂糖を入れて…。夕食は夕食で、一応食べるように頑張ったけど、腹6分目くらいが精一杯。今年に入って激ヤセした私、さらに体重が減る…。
食べるほうは日によって食べられたり食べられなかったり。でも不眠は毎晩私を襲い、睡眠時間が2〜3時間、という状態は2ヶ月続きました。
少しでも体力を温存しようと、昼休みには修養室に行って横になる…それだけでも午後の仕事への打ち込み方が違ってくるものです。修養室での仮眠は日課になりました。
拒食・不眠に加えて、私を襲ったのは「寒気」。毎日のことなので、風邪とかではないんです。みんなが「暑い暑い」と言っている時に、一人厚着。「きっと食べてないから自分で熱が作り出せないのだ」と思っていたら「自律神経の調子が悪い」のだそうで…。「そうだな」と実感したのは本当に暑くなった6月になってから。今度は暑くてたまらないのです。体温の調節がうまくいっていない証拠です。
「とりあえず不眠のほう、何とかしましょう」と、処方された薬は「ベンザリン」という睡眠導入剤でした。しかも持続性があるということで「試しに休みの日の前の日に飲んでみてください」と。
結論。「効いたぜ〜!」でもホントに休みの日の前日にしか飲めない薬。翌日まで残ってふらつく…。それでも、まとまった睡眠が取れたのが嬉しかった…。
風のウワサに聞きました…パスワードは何の意味もなしていなかった…私が異動してから、誰もなんともできずに手付かず状態…説明しても理解できなかったらしい。それよりも職場の環境はますます悪化したようで、みんながますますバラバラになってしまったとか…とにかくひどいありさまのよう。だけど私はもう“よその人”、助けてやる義理はない。ましてや“担当ではなかった”のですからね。そうしたのは上司その人。部下がまとまらない、と悩んでいるかもしれないけど、それも助けてやる義理はない。
「後悔して損したかも」と拍子抜け。それと同時に「あの上司は人の上に立つべき人間ではなかったんだな」と確信。いくらすばらしい本を読んだって、奴は変わらない。
私は変わった。紆余曲折があったけど、したたかになった。少々のことでへこたれるもんか! でも気分の変動はまだ激しいので、いつパァ〜ッと家を飛び出していくか分かりません。薬は一生飲むかも知れないけど、それで普通に暮らしていければ、それでいい。もう、差別はたくさん! 新しい職場では、病気のことは一切明かさない。
こうやって苦労に苦労を重ねて、一人「悲劇のヒロイン」気分に浸ったこともありました。1年で10年分くらい老け込んだような気がしました。
でも、恥ずかしがらずに精神科に駆け込んでよかった。そうでなかったら今ごろ死んでいたかもしれない…。
だけど、苦労した分、したたかになった。子供とのコミュニケーションのために始めた「すずめ踊り」も楽しく続けているし、ネットでも子供とコミュニケーションが図れる…
苦労しつつも、良い方向を模索して、これからも時には落ち込んだり、笑ったり、泣いたりしながら生きていくのでしょう。
「頑張ればその分報われる」そんな世の中であってほしい。私は苦労した分、今になって報われた、と思っています。
本当は4回で終わりにしようかと思いましたが、「その後どうなったか?」が知りたい方もいるのではないかと思い、書きました。いまだに情緒不安定ですよ。でも誰でもそんなことはありえるんだ、ココロの病気は他人事ではない、ということをここでまた強調して、この“体験記”は最後にしたいと思います。読んでくださってありがとうございました。
2004/6/6
新しい職場で約2ヶ月間、息つく暇もなく突っ走ってきて、一息ついたらまたうつ状態に…さらには前の職場の嫌な記憶がフラッシュバックとして襲ってきます。完全にトラウマですね…。
うつ病は再発しやすい病気です。みなさんも気をつけましょう(^^)ところで、ベンザリンは効き目が薄くなってしまった(泣)
2004/6/16
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